なぜ女は婚活するの②「結婚したいだけ」の婚活はいらない

なぜ女は婚活するの②「結婚したいだけ」の婚活はいらない

好きな生き方を選べる時代になって、婚活をするしないも自由だ。それと同時に「自己責任論」が強くなって、稼げる稼げないも自分次第、結婚できるできないも自己責任、となった。でも好きな生き方を選び取り、自分の意思で進んでいく方法については誰も教えてくれない。

価値観が劇的に変化したゆとり世代からすると、いきなりサバンナに放り出された気分になる。「自分のなりたい姿ってなんだろう」と自問自答しない人は、なんとなく周りの人の人生をなぞるんじゃないだろうか。

好きな生き方を選ぶのはしんどい

好きな生き方やなりたい姿を探すのは、とてもしんどい。これは婚活も同じで、なぜ婚活するのか考えないまま「結婚したい」という気持ちに支配されて婚活すると、いざ結婚したときに理想と現実のギャップに苦しむのではないか。

パパ活アプリ潜入で「結婚は愛する人と一生一緒に過ごすものはありえない」と感じた話(前記事)についてだが、私は不倫のすべてがどうしようもないと思っているわけではない。夫婦お互い同意の上での婚外恋愛や、好奇心が止まらないタイプなど、いろんな背景を考える必要があると思う。

結婚したらお互いにずっと家族一筋でいるべき。それでもしあわせに過ごせるはず!という価値観に縛られて、しんどい思いをしている人も多いだろう。結婚する前から、いろんな価値観の将来を予想して準備できていれば、その人にとって最悪の状況にはならなかったかもしれない。

自分がなりたい姿になるため、多様な選択肢を知るために婚活をするべきだと思う。

型にはまらない結婚をする友人

最近、女友達が婚約したのだが、遠距離恋愛の延長で、すでに別居が決まっている。友人は子どもをそこまで希望していないが、男性パートナーの希望で産むことになりそうだ。育児は友人の家が拠点となり、週末のみパートナーが帰ってくる…という、今からワンオペ育児で彼女が疲弊するのが目に見える結婚だ。

彼女は悩みつつも「私一人で家は自由に使わせてもらうし、友人らも気兼ねなく呼んでパーティする。そこに文句は言わせない」と力強いことを言っていた。

友人として「結婚やめときなよ」と言いたくなるが、好きという気持ちは他人がどうこうできるものではないし、長年付き合ってきた二人にしか分からない関係性があるのかもしれない。

話し合いが苦手なパートナーのことを鑑みて、トラブルになった時のために、二人の間で婚前契約書を交わすことも検討しているんだそう。これをあなたは「冷たい」と思うだろうか?

愛してくれる人との出会い

自分の話を少しすると、大学時代後半、私は初めて付き合いたい人と出会うことができた。理由は「自由にやりたいことをやろうとする私を受け入れてくれる」、ただそれだけだった。

当時、偏見に晒されがちだったジャンルの仕事に携わりたいと言ったら「そうなんだ」と笑ってくれたのを覚えている。

「社会の課題を解決したい」それだけが私のパワーの源だったが、世間がなんと言おうとも、愛してくれる人は、愛してくれる。そんな人と出会えたことで、今私は「好きな生き方」を考えられるようになった。

自分のやりたい仕事に携われるようになった私は、世間の固定観念に囚われ、視野を広く持たず、目の前の物事を吟味できなかったことを悔やむようになった。

自分にとっての恋愛に、世間の基準は関係なかった。みんなにとっての居心地の良い場所が自分にとって良い場所とは限らない。

「異性と付き合える女の子」に囚われた頃

ついでに、初恋で失敗したエピソードも書いておく。失恋した私は「異性と付き合える女の子」像に囚われていた時期もあった。

…相手の話は笑顔で聞き、たまにわからないふりをする。守りたい存在になる、相手を包み込む、相手を受け入れる大きな器を持つ、嫌なことがあっても顔に出さない、でしゃばりすぎない、感情的にならないなどなど…今見るとゾッとするものばかりだ。

当時の私にとってこれが正義で、相手に嫌われるとしたら、私が悪くてこれらの条件を守れていないからだと考えてしまっていた。

取り繕った姿を認めてもらえることもあるにはあったが、それは私にとっては苦痛で仕方なかった。型にはめられた反応で認めてくれる相手なんて、本来私の人生に不要だったのだ。幼い自分にはそれがわからなくて、教えてくれる人もいなかった。

こういった条件を呪いのように唱えてくるメディアや情報や人はいても、そんなことしなくてもあなたは素晴らしいと言ってくれる人はいなかった。

みんな同じ「居心地の良い場所」を探してない?

私は自分の失敗があって、その後にいい出会いがあったから「自分がなりたい姿」「好きな生き方」について考えることができた。価値観が劇的に変化する時代の中で、何とか理想高く、でも自分を潰してしまわない生き方を模索できている。

「いい出会い」と言ってしまうと、偶然的に感じるが、自分がやりたいことをやろうと模索する様子を周りに見せていたからこそ、泥臭く出会う作業を疎かにしなかったからこそ、やってきた出会いだったと思う。

もし、あなたが私の過去と現在を見て、少しでも共感してくれるのであれば、「結婚したい」だけに縛られる婚活は必要はない!と胸を張って言える。

あなたにとっての素敵な婚活は、あなたが決めていい。結局は世間の基準なんて都合よく書き換えられたものに過ぎない。これまでの世間の基準による「婚活」によって失敗してきたと感じられるのであれば、それも逆に武器になるかもしれない。自分の経験を否定しないでほしい。

恋愛してもしなくても、結婚してもしなくても、あなたはあなたのなりたい姿を見つけられたら最高だし、たとえタイミングを逃したとしても機会はどこにでもある。

好きな生き方を見つける婚活をしよう

婚活はいろんな人と出会うという、泥臭くアナログな作業だと前回の記事で述べたが、私はいろんな人との出会いの中で、その人と付き合っていくことで自分の生き方は叶うのかというのを妄想する遊びを行っている。

いい未来を想像するのは簡単だが、悪い未来を想像するのはひどくしんどい。それでも、冷静に自分と向き合う上では欠かせない作業だ。

好きな生き方を見つけるのに、もちろん必ずしも「婚活」が必要なわけではない。仕事に打ち込むもよし、転職活動を通して自己分析をやってみるのもよし、お金を貯めてあるときフラッと海外に出てみるのもよし、だ。

自分の可能性を狭めるのも広めるのも自分次第で、特に広めるのはしんどいかもしれないが、まずは「行ったことのないお店に入ってみる」とかでもいい。ハードルはとにかく低くして、自分の知らない自分を知る一歩を踏み出してみてほしい。

この記事の執筆者

ハシモトカノン

ハシモトカノン

兵庫県出身ライター。 インドでフィールドワークを行った際、チベット人学生に出会ったことなどをきっかけに根深い問題や社会に埋もれた小さな声を伝える記者という仕事に興味を持ち、大学卒業後、Webディレクター/マーケターとして働く傍ら、ブログやSNSで女性目線で情報を発信し始める。

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